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院長紹介

院長紹介

井上朱実 院長

院長 井上 朱実

1951 大阪生まれ
1976 岡山大学医学部卒業
1976 耳原総合病院就職
2012 耳原総合病院定年退職
2013 ぽらんのひろば井上診療所開院

→ 著書の紹介はこちらから
 
ぽらんのひろば井上診療所がたくさんの方のお力をかりて開設できることになりました。

だれでも苦と楽の一つや二つはもって暮らしています。
苦を一人で背負いこまないで少し吐き出して、楽を披露してみなで喜ぶ。
ぽらんのひろばがそういう場所になってほしいと願っています。

健やかでありたい という思いは多くの人がもっています。
病気があること、病気への不安は 大きな苦だとおもいます。
私たちは専門家チームとして健康への不安という苦を軽くするお手伝いをしたいとおもっています。

糖尿病をはじめとする生活にねざした疾病をもって暮らしている方に、医学的な知識だけでなく日々を元気に暮らす工夫を一緒に考えていくことをめざしています。

病気があっても 自分らしく生きたい。
人生の舞台で主役はあなたです。
わたしたちはあなたが一番いきたい暮らしを応援します。

あなたの人生のサポートチームにぽらんのひろばも参加させてください。
ぽらんのひろば 院長 井上 朱実
 

ぽらんのひろば 名前の由来

ぽらんのひろば 名前の由来

“ぽらんのひろば”は、宮沢賢治のなづけた庭の名前です。

怒る時 かならずひとつ鉢を割り 九百九十九 割りて死なまし

東北の流浪詩人石川啄木がすきでした。負の心情を言葉にのせる巧みさにたくさんの歌を暗唱していました。
40を越して童話だけがすきだった賢治の“アメニモマケズ・・・”が好きになりました。数年前花巻を旅して生まれ育った土地に執着し農民とともに足元を見つめて生きる賢治を感じました。畑の土ととりくみながら 近くの川岸をイギリス海岸とよび 宇宙に思いをはせていた賢治。
40年近く住み子育てをした町で根をおろして病気をもつ人の応援をしながら夢を広げてくらしたいと思うようになりました。
賢治の最後の童話 ポラーノの広場は伝説のお祭りの場でみなで食べて歌って語って交流する場として登場します。
ぽらんのひろばはポラーノの広場にあやかってなづけました。